「超・映画評」と銘打たれてゐるが、確かに、氾濫する駄文を超えた存在感を醸し出してゐて、 その意味では「超・映画評」と言へるわけだけれども、 実はこちらこそ本格的な、あり得べき映画批評、これぞ映画評、なのである。 奥山さんの批評には、作家(映画監督・脚本家)以上の知性や観察眼が、そこここに見られるが、 それはまつたうな時代認識、時代感覚によつて裏付けられたものと言ふべきだらう。 〈遠藤浩一拓殖大学日本文化研究所教授の「本書の発刊に寄せて」の本文より抜粋〉